【投稿者コラム】
私は幼い頃、母子家庭で育ち。母がお迎えの時間も忘れてパチンコにのめり込んだりするのを見てきてパチンコが大っ嫌いでした。ネグレクトまでは行きませんでしたが、きっと今考えればネグレクト寸前だったのかもしれません。
母は仕事がある期間は忙しさにかまけてパチンコの存在を忘れていましたが。失業をすると直ぐにパチンコへ行き、お給料を貰えばまたパチンコ。生活保護費が入ればまたパチンコ。
もちろん、掛け金が増え贅沢できる日が少なからずあったのも確かですが大抵は最終的に全てすってしまい電気は消え、ガスや水道は止められ。そんな生活をした日の方が多かったかと思います。
そんな環境で育ち、パチンコが嫌いだったはずの私が。
仕事ができるようになり、母に誘われ1度パチンコへ行った時。
面白いくらいに掛け金が倍になる感覚に快感を覚え、自分自身ものめり込んで行きました。
お給料を貰えば母と共にパチンコへ。
急ぎでお金が必要な時には少ない掛け金でまたパチンコへ。
すってお金が無くなれば、人から借りて増やせば良いという考え方にもなり一時期、パチンコ依存ともいえる状況に陥りました。
お金が無くなればまた、仕事をし給料を貰えば全てパチンコへ。
いつか倍になる倍になれば楽できる。倍になった日が1日でもあれば、その快感を忘れられずまた行くのです。
そんな状況を3.4年続けていました。
あんなに、パチンコに依存する母を見てきたはずなのに。
ですがある日仕事をし、いざパチンコへと思った矢先我に帰りました。一体何をしているのだろうと。
せっかく必死こいて働いて稼いだお金を、増やそうとパチンコへ行っているつもりが生活費すら足りなくなる日の方が多く。
パチンコへ行くことが果たして、自分のためになるのかと。
母は相変わらずでしたが、自分自身が変わらなければ母の事も説得が出来ません。
その為、ひとまず1ヶ月パチンコへ行くことを我慢する為に、掛け持ちしていた仕事を1ヶ月ほぼ休みなくいれ、休みの日も友人や趣味の時間にあて、パチンコへ行く時間を無くしました。
そうすると、1ヶ月後友人と遊んでいるにもかかわらず。
それでもお給料が残っていたのです。
逆にそれが新鮮で感動しました。
それがきっかけで自分自身のパチンコ依存の状態からは、逃れられました。
ですが、母は違います。母も仕事はしていますが、仕事が終わればすぐパチンコへ行き。お金が無くなれば私にせびるようになりました。
それがきっかけで毎回喧嘩もしていました。
私から借りれなければ他の誰かに借りればいいそんな考え方までしている母に呆れつつも。少なからず気持ちも分かるので。
それでも話はしないと行けないと思い母と話し合いをしました。
行くのは構わないでも行く回数を減らして欲しいこと。
無くなったら人から絶対借りないこと。
それでもお金が無くなるまでパチンコへ行くことはたまにしていますが。行く回数は徐々に減ってきています。
そのおかげか怒りっぽい性格の母が怒る回数も減り。
そのタイミングで外出自粛になったことで、パチンコへ行くきっかけも無くなり。パチンコに依存する事がどれほど生活を壊してしまうのか理解してくれているように感じます。
ですが、このコロナでの外出自粛の状況でも、パチンコへ行く人が多く集まるのを見ていると残念な気持ちになる反面少し、気持ちが分からなくもないのです。
儲かればストレス発散にもなるし、いい暇つぶしにもなります。
でもこの状況下で、負け続ければパチンコへ行くお金すら無くなる。
しいていえば自分の人生もめちゃくちゃになりかねない。
週1.週2程度で楽しむのは構わないかもしれないけれど、絶対に財布丸ごと全財産を持っていってはならないし。
金額を決めて1万円なら1万円それで負けたら今日は運が悪かったと諦めるべきなんだと思います。
そしてまた1.2週間後ふらっと行った時1万円もし取り戻せたらラッキー。5000円負けたら悲しい。
そんな感じで注ぎ込む金額も減らしていけばいい。
パチンコに依存することは愚かな事ではない。気持ち次第で変われるし、気持ち次第で週1の趣味で稼げる事もあるはず。
でも必ず儲かるなんて事はないと思ってます。
だからこそ儲かるなんて感覚は捨て、運試し程度にたまーに行くのが自分の為、家族の為なんだと思います。
パチンコ依存は悪魔に取り憑かれてるに等しいと私は思いました。パチンコ依存ほど恐ろしいものはない。
このご時世パチンコへ行くのもの同様。
パチンコへ行き自分が感染するのは構わない。
でも、そのパチンコへ依存し暇つぶしになると称してパチンコへ行くことで知らぬ間にコロナになり。周りの誰かにコロナを感染させ、その人が亡くなったとしたら。
殺人者になりかねない。
パチンコへ依存することは本当に恐ろしいと改めて思い知らされています。
パチンコ依存の先にあるものそれは地獄しかありません。